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西蓮寺は初代住職釈祐専により1606年に開基された、町内で最も古いお堂です。現在の本堂は1754年の再建による寄棟造の伽藍です。 本堂内の格天井には詫間文男氏によって描かれた226枚の水墨画で埋め尽くされています。700坪に及ぶ境内には樹齢250年の野田ふじの花とエビネランの花があり、花の季節には多くの観光客で賑わいます |
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若宮八幡社は、823年本社宇佐八幡宮の御分霊を祀ったのが始まりです
若宮八幡社では美味しい湧き水が飲めます 神社の西側、岩の間から多くの浄水が湧水し、昭和63年に県の「豊の国名水」の一つとして認定されており、大分川の支流「宮川(みやかわ)」の源流になります。 |
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大杵社は宇奈岐日女(うなぎひめ)神社の末社で、草創は本社六所宮と同じ数千年の経た景行天皇の時代といわれています。 大杵社の大杉は国の重要文化財に昭和9年に指定され、根元の周囲が13,5メートル、高さは35メートル。根元には畳3枚ほどの空洞があり、樹齢は1000年以上と言われています。 この空洞に明治30年の大晦日、ごみ焼き火が入り2年2ヶ月2日も燃え続け、「煙が幹の30メートル上部の穴から噴出した」と伝えられています。 一時はこれでおしまいかと思われた大杉。しかし、前よりも勢いが増したそうです。この空洞内に巣食っていた害虫が炎と煙で殺菌されたのでしょうか… |
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通称「六所様」呼ばれてきたこの神社。六所とは、奉祭する六柱の神々を現しています。 正式な名称は「宇奈岐日女(うなぎひめ)神社」といい、由布院は弥生以来の遺跡を持つ沼で、動物の「うなぎ」を沢沼の精霊としてまつったのが古来の祭神ではないかと言われています。 古来から土地の開墾は水との戦いの連続で、人々は治水に頭を悩まし続けたのでした。 この六所宮の境内はかつては相当の広さがあったそうです。過去何回もの伐採の経緯があり、その中でも戦国時代の末期、「大友義統」の時代に、大分市に鎮座する豊後一の宮「柞原(ゆすはら)八幡宮」造営用の材木をこの六所宮から伐採されたことがあったという古文書が残されています。 平成3年の台風19号で大きな杉のほとんどが倒され、今ではその切株をまつっています |
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寺院の歴史は古く1417年の記録が記されています。
石段を登りつめると正面に本堂、右手には1524年に建立された「六地蔵」(県重要文化財)があり、東側には町内で最も大きい樹齢200年以上と推測される、銀杏の大木があります。 |
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明治42年の開所以来、参拝者は多くいたのですが、戦中戦後にかけて荒廃していました。 その場所を地元温湯(ぬるゆ)地区の住民達が平成6年より再興に向けて活動を開始しました。 平成9年には霊場のほぼ全域が開所当初並に戻りました。 四国八十八個所と同じく一番札所より八十八番まである霊場です。 |
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興禅院は、菊池寛の名作「恩讐の彼方に」の禅海和尚の得度の寺である。 洞門造りの大願を立てたゆかりの寺であるが、昭和48年に火災があり、木造の旧伽藍は全焼し、その後不燃性の本堂と庫裏が再建された。 |
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金鱗湖と由布岳、そして湯布院の自然に囲まれたこのお寺は地元の人々にとって重要な寺院の一つです。 約千年前、日向国霧島神社での神のお告げにより由布岳の山腹にて庵を結び観音像を刻し祀ったのが始まりです。 以来、由布の霊場の本拠地とされてきましたが慶長(けいちょう)の大地震により、本尊が山谷に転落してしまい、時の村人が、現在の場所に移したそうです。 |
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今でこそ金鱗湖(きんりんこ)一帯が観光地として多くの人々が頻繁に行き交うようになりましたが、何年か前までは朝夕、村人たちが浄水をくんで背負って帰る姿が当たり前のように見られていました。 地元、温湯(ぬるゆ)地区の子供達が昔から集まるこの神社の両脇には由布岳からわき出た水が今もさらさらと流れています。 金鱗湖を背にしているこの神社には中央に天祖神(てんそじん)、向かって右に八坂神社(やさかじんじゃ)、左方に金比羅神社(こんぴらじんじゃ)を祀っています。 |
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日野病院は、江戸時代から続く医家で、この建物は、明治27年に日野医家3代目にあたる日野要(かなめ)氏によって建てられました。 病院の建物は、擬洋風で、このような建築は県下で最も古く、日本でも珍しい建物であり、平成11年に国の重要文化財に指定されました。 玄関上のベランダ、雲竜の彫刻、円弧式アーチの窓、戸袋の鏝絵(こてえ)、診察室の寝台、古いレントゲン機械、螺旋階段、紫檀・黒檀・鉄刀木の床柱、座敷便所など、建築費用は当時2万円(当時の大工の日当54銭)を要したそうです。 |